妙恩寺は日蓮宗に属します。

平成十四年に立教開宗七百五十年(日蓮聖人が初めて千葉・清澄寺にて南無妙法蓮華経の御題目をお唱えしてからの年月)を迎えたばかりでの妙恩寺自身の七百年。
もちろん地元・日蓮宗寺院では最古になります。
「妙恩寺は大きなお寺だ。格式が高い寺だ・・・」檀信徒の皆さんはそんな妙恩寺に対し、自慢に思い・誇りに思ってきたはずです。
親戚にも鼻が高い・・・。でもなんで?
説明できますか?

この難題に新米住職が一考察。

「私で五十五代目の住職。一代ずつどんな住職がいて、どんな時代に・どんな事をされてきたのだろう。
もちろん住職だけで、保ってきた寺ではない事は百も承知だ。
それは別の章に譲り、住職は住職を調べてみたらどうだろうか?
そこに、妙恩寺七百年の一側面があるはずだ。」

この寺は幸いなことに先の大戦でも消失を免れ記録は残っているはずだ。
でも、数年前からの宝物の調査で膨大な宝物があることが判明し、その中から資料を探しだし、まとめるのは至難の作業となる。早くも挫折か?・・・。

先代住職の本葬儀の折に檀信徒皆様にお伝えしました「妙恩寺七百年祭はわしがやる」という先代住職の言葉。
最近、遺品の整理をしていたところ、便箋に妙恩寺縁起の草稿が出てきました。
日付が書かれていないので、いつ書かれたものかは確定できませんが、草稿の次のページに総代会議の議事録と思われるメモ書きや、字の力加減から察するに、平成十九年の倒れる直前のものと思われます。
七百年祭の三年前には先代住職は執筆に入っていたわけです。

さらに六百五十年祭を執り行った先々代住職の『長光山歴代記』・六百年祭を行い今でも「北原の御前さん」と親しまれる五十代目住職の『寺門経営記録』。
いつのまにか私の周りに資料が集まってきていました。

お前が書け!

歴代の住職達もそう言っているようです。
私が小さい頃、先々代の内室から聞かされてきた事や今回私の手もとに集まってきた資料をもとに一筆書かなくてはと・・・。
大学時代に国史をかじった御蔭で、かろうじて歴代住職の達筆を判読できることに感謝しつつ書きすすめていきます。